こんにちは。友達に
わたしたち中堅社員じゃない?
と言われ、その響きの重みと自分の現在の状態とのミスマッチ感がすごいです。
十数年前ぐらいは、普通に働いて結婚してみたいな暮らしをは思い浮かべていました。
でもその普通に結婚するも尋常じゃなく難しいことだなと痛感しています。
大前提として、わたしは結婚に向けて活動していないし、普通を目指しているわけじゃないのです。
でもなんでか焦るんですよね
自分で選んでいるわけだから焦るのは矛盾しているんですよね…
これまではみんなと同じレールの上を走っていた気がするから
生まれてから日本では小中高大(専門)・社会人と、子供から大人にかけてのライフスタイルには一定の型がありますよね。
そしてここからは結婚出産…と続くのがお決まりのパターンだと思っています。
そこから一人外れようとしている、みんなと違う選択を生まれて初めてしようとしているのが怖いのかもしれないです。
わたし自身のキャリアが見えないから
友達に結婚願望がないと言ったらじゃあ仕事バリバリ続けていく感じだねって言われたんですよね。
でも、悲しいことに正直仕事もそんなにできない。
仕事面でも鳴かず飛ばずで将来のキャリアが見えないのもモヤモヤの1つの理由だと思います。
大学生のころは結婚せず仕事で成果を出して、出さないにしてもバリバリ働いていてるキャリアウーマンになっていると思っていました。
が、現実は甘くなく、仕事もうまくいっていないんですね…
詳しくは割愛するのですが、精神的な弱さから仕事でダウンしてしまった時期もあり、しゃかりきなキャリアを進んでいくのは難しいなと今は思っています。
もし自分の仕事での道がはっきり見えていたら、お仕事に振りきれて結婚云々をここまで気にせずにいれたのかもしれません。
御託を並べていないでもっと頑張れと言われてしまえばそれまでなのですが…
もし限界を超えてしまい、わたしが再起不能になってたとしてもだれも責任取れないですよね。
自分のキャパを把握して、自分の稼働量をコントロールするのってすごく難しいです。
そこをきちんと把握していないと、甘えだのなんだの言われてしまうのだと思います。
普通という名の幻影に翻弄されている
どっちにせよわたしは、
普通は結婚する、しないなら仕事頑張るのが普通という
普通のしがらみにとらわれているんだと思います。
普通って何やねん(笑)
普通の家庭とか普通の結婚とか、普通という言葉で何かと一括りにしています。
しかし、普通と思っているようなものでも1つ1つクローズアップしてみるとそれぞれ個性があって同じものなんて1つもなくて、
普通という言葉は自分の基準で常識だと思っているイメージの集合体で、実態がないものなのだと思います。
勝手に脚色した普通に踊らされて、その通りになれない自分を嘆くのは完全なる自作自演ですよね。
世の中の大多数の人が選択することを普通と言うのなら、普通というものが全く的外れだとは思わないのですが、
普通のプレッシャーは自分の創りだした虚像だと理解して、ほどほどに生きていきたいなと思った次第です。
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