自己肯定感を上げるのはカラスを白鳥と思えと言ってるようなもんだと思う

昨今よく聞くフレーズ

自己肯定感を上げよう

特技は自責といっても過言ではない私。
自分を好きになれと散々言われ、人一倍この言葉と対峙した結果、
無理やり自己肯定感を上げようとすると
かえって自己肯定感が下がるのでやめたほうがいい、という結論に落ち着きました。

自己肯定感を上げるのはとても難しいです。

これは、自己肯定感の低い人がダメ人間だからではありません。
自己肯定感はその人の出来不出来ではなく、感性で決まると思うからです。

自己肯定感が高い人は自分のどこを評価するのか

自己肯定感が高い人は自分のどこを評価しているのかを考えてみたときに、
以下の2つに分けられるのではと予測しております。

  • 自分の長所を誇りに思う
  • 生命自体を誇りに思う

このパターンのどれか1つ・または両方を獲得すれば自己を評価できるはずですが、
いずれも感性を根こそぎ変えないといけないため無理ゲーだと判断した次第です。

それぞれいかに険しい道かをお伝えしていきます。

長所を誇りに思う

こちらは分かりやすいと思います。

わたし
わたし

私ってば優しい!思いやりに溢れてる!

こういう風に、自分の持っている性質を高く評価している状態です。

ただ長所と短所は表裏一体とはよく言うように、
特徴をどう感じるかによって長所になるか、短所になるかが決まります。

例に挙げた優しい・思いやりに溢れているも
一歩間違えばおせっかいですし、考えの押し付けになりかねません。

こんな風に、持っている特徴は同じでも見方によって180度違う評価になると思うんです。

となると、自己肯定感が低い人がたくさんの短所と思っているとして、
その短所を別の面から捉えれば長所になりうるわけですが、
今短所だと思ってるところをプラスの面から捉えてみよう!と口では言えても
そう感じてるものを覆すのは難しい。

感性はそう簡単に変わらないため、長所ルートは茨道と考えております。

生命を誇りに思う

生命自体を誇りに思ってるとは、

生き物全てが尊い、生きてるだけですごいと思っている状態です。

わたし
わたし

この本とかは割とそういう考え方だと思った


うまくいっている人の考え方 完全版(ジェリー・ミンチントン) (ディスカヴァー携書)

確かに、ステータスに関わらずしょせん人は人だし、
犬や猫もライオンも等しく一つの命を持っていて、どれも等しく尊い存在だと思います。


おそらく自己肯定感が低い人が命の重さを分かっていないわけではないんです。

人間にフォーカスすれば、確かに生きてるだけで何かしら経済回しているし、
存在しているだけで何かに貢献できてます。
でも、それだけでは自分を認められないんですよね。

「すごい」の基準を作ってしまっていて
生きていることに加えて何かプラスアルファなことをしないと評価できないんですよね。


生きていることを誇りに思うルートに乗るには
「すごい」の基準を下げないといけないですが
すごいと思わないことをすごいと思うって難しいですよね?

結局感性を変えないといけないため、かなり険しい道になると思います。

自己肯定感を上げようとするのではなく、どうでもいいと思ってみる

自己肯定感が高い人は

  • 自分の長所を誇りに思う
  • 生命自体を誇りに思う

のどちらかだと思われ、
持ってる素質は同じでも感性次第で
自己肯定感の高低が決まっているのではないだろうか。

カラスを見て白鳥だと思えないのと同じで、

感性は変えようと思っても変えられるもんじゃないので、
やっぱ自己肯定感を上げるのはクソムズイ。と思った次第です。

じゃあ自己肯定感が低い人はずっと低いまま、
自分を下げて生き続けろと言っているわけでは全くございません。

わたし
わたし

自己肯定感とか…ぶっちゃけどうでもよくないか?

自己肯定感が低い人が楽に生きるのはこんな風に
自己肯定感という土俵から降りるのが最も手近な方法だと思うのです。

思考放棄して逃げているのかもしれませんが、
自己肯定感を上げるメリットって自分が生きやすくなる点にあると思っています。
自分が楽に生きていければ、自己肯定感なんてどうでもよいんです。

変に卑下しないようにしなきゃ、と自分自分と躍起になって苦しむぐらいなら
一旦思考放棄して、自分ではないところに注意を向けるのもアリではないでしょうか…?
自己肯定感が高いか低いかの二択思考に苦しむ人が少しでも減りますように!

おしまい

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