夢ややりたいことがないのに生きてる私すごくない?

小さいころに聞かれる質問「大きくなったら何になりたい?」に始まり
卒業アルバムには「将来の夢」を書かされる。

いつだって夢を持てと言われ育てられてきたように思う。

でも夢をかなえられるのはほんの一握りの人だけと悟り、
いつしか極力大学を出て安定した就職先を求める、安定志向の学生に成長・
夢なんてどうせ叶わないから持たない方が楽と切り捨てていたら
自分の興味や好きなことも分からないような、感性がカラカラな大人になってしまった。

今になって夢や目標のない空っぽな自分のままでいいのだろうか…と不安を感じたり、自分を責めたりしていたけど
この本を読んで気づいた。

夢もないのによく生きてるなあ自分

夢がある方が分かりやすい

目標や夢がある人の方が高尚で、日々何となく生きている人の方がいい加減なイメージがあるのは私だけでしょうか?

前者の方が目指す場所に向けて毎日エキセントリックな日々を生き抜いていそうですが、後者の方がよっぽどいばらの道だと気付きました。

人間って考えてしまう頭があるが故、すべてに理由とか目的とかを求めてしまう生き物だと思うんです。

何か理由があれば拠り所があって精神を安定させられます。

逆に、工場のライン作業とか単純作業とか、無意味な活動を続ける方が先が見えないことないですよね。

人生においても夢がない状態はまさしくそれで、あてもなくさすらい歩くという、人間が一番不安を感じる状態をサバイブしているんです。

いや、夢ないのに生きている自分すごくないですか???

小さなものの方が見つけづらい

人生に目標はなけれど喜怒哀楽は持ちあわせているわけで、楽しいことの一つや二つないとやっていけないです。

夢がある人であれば、夢に近づく喜びなど、大きくわかりやすい感情の動きが生じるだろうと思います。

夢ナシ人はそれがない以上、より小さな変化に喜びを見出すしかないわけです。

自己啓発本では「ないものよりあるものに目を向けましょう」「小さな楽しみを積み上げて記録しましょう」とか言われますが、
視力検査で小さい丸が見えないのと同じで、夢がない方が幸せを感じるのって難しいはずなんです。


目を凝らさないといけないわけで、ただでさえ夢や希望といったでっかいビジョンが見えてないにもかかわらず
めっちゃ難しい要求をされているんだな…そりゃ楽しくなくても当然だし、気づけなくて当然だなとスッキリしました。

やりたいことを見つける前に、やりたいことがないのにここまで生きてきた自分をほめたい

夢がないのは人間の理由を求める思想に逆らっている状態であり、
毎日の楽しみがない分小さい幸せを見つけるのは大きい幸せを見つけるより自発的にならないといけない
よって夢がない人の方が生きづらいから趣味ナシ・夢ナシなもっと私を評価して???という話でした。

「好きこそものの上手なれ」だの、「好きを仕事に」だの言われちょりますが
好きなことが見つけられない迷子になってさらに自分を責める前に
そもそも好きなことや楽しみもないにも関わらず、今の今まで生きていた自分をほめてあげたいと思えました。

肩に力が入っていたんだなと気づかされた本です。ぜひご一読あれ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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